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死ぬこと

2024年06月02日
学生の頃や20代のころはさっさと死にたい、しんどいが多かった。
就職したらさっさと実家出たい気持ちは強かった。家の中で私は必要とされてなかったので。
実家出て親と距離ができたのが一番メンタルに良かったと思う。ずっと自分の城が欲しかった。実家に一人になれる部屋は無かった。上も下も引きこもれたのに。

一人になれたら自分はいつどのように死ぬんだろう、という考えがずっと離れなくなった。悲観的ではなく自分の終わりはどのように訪れるのか興味が湧いた。
物語のキャラクターの死のように考えてた。
ちゃんと年取って人に見守られて眠るように死ねるか、事故か病気か天災か事件か自殺か。孤独死は死ぬのはいいけど発見遅くなって迷惑かけたくないなあ。

ここ数年で死ぬのはいつでも出来るな。という考えに切り替わった。
きっかけは多分引っ越しだと思う。気乗りしないまま決めた引っ越しで当日ひどい大雨。見積もりしてもらったはずなのにトラックに荷物が乗り切らず新居と土砂降りのなか無駄な往復。サ◯イは二度と使わない。
ストレスがひどすぎて人生初泣き崩れる体験までした。ああいうのは演技だと思ってたけど限界来るとマジで泣くし立ってられなくなる。そのあと衝動的に軽い終活を始めた。

ゲームや作品でもここ最近死生観テーマの作品増えてきた気がする。人ひとりが死んだあとの面倒事って知らないこと多い。家の宗派もわからない人多くなってるから墓じまいもどんどん進めたほうがいい。
個人的には安楽死、尊厳死には賛成。いろいろ条件はつけてもらっていいと思うけど、死ぬ権利は必要だと思う。一人で生きていかなければならない人がこの先もっと増える。自分の終わりを自分で決めて、綺麗に死ねたらいい人生だったと思えるんじゃないかな。
私もそんなふうに終わりたい。
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