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ほめて箱2

2024年04月10日

ほめて箱に届くコメントと、ツイッターとかのリプライのコメント、素直に受け取れるのは確実にほめて箱の方なんだけどこの違いってなんだろなあと考えてみて。

たぶん言った人が見えないからなんだろうなあ。

もちろん、誰が言ってくれたかでとてつもなく嬉しいコメントというのもある。それは私がその人のことを認識して、好きで、信用してるから嬉しいと受け取れる。
絵を色んな人にみてもらうってのは悪い気はしないんだけど、ユーザー名のあるアカウントからコメントが来るとコメントを送ってきた「人」を見てしまうので、コメントだけを好意的に受け取れないことに気がついた。
ツイッターってどうにも「人間」が見えてしまう。これは結構前から思ってた。
人間が見えるからいい面もあるし、悪い面もたくさんある。

ほめて箱はユーザー名も見えない匿名性なので(文章でふんわりこの人かな、とか名前書いてくれる人もいるけども)好意的なコメントを本当にそのまま受け取れる。
これが私にとっては結構革命だった。
名前書いてくれてる大好きな人はそのまま書いておいてください。キャッキャします。

ありがとうほめて箱。名前がいいよねほめて箱。

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2024年03月28日
昔から嘘をつくことは苦手で、嘘をつく人も苦手で。
ドッキリ企画も、そういう一時的な嘘で騙して驚かされる系は本当に苦手。
エイプリルフールも、ジョークでワハハ!と笑える嘘は大丈夫だけど、こういう企画やります!嘘でした!はその企画やろうと動いた人の人間性を疑ってしまうレベルで大の苦手になってしまった。今はワハハ系多くなったけど少し前はマジの嘘企画多くて本気で4/1嫌いだったな。

「人に嘘をつくと、その嘘を隠すためにさらに嘘を重ねることになる」
母氏もやっぱり嘘は苦手みたいで、以前こんなことを言っていた。収拾つかなくなっちゃうよね。
なもんで、分が悪くなりそうなときとかは嘘をつくというより言わない、伏せとく的な防御選択の生き方をしていた。まあ正直に白状するとかの方が多かったけど。
イベントでは売り子をよく任せてもらってたけど、お金の管理があるじゃない。そこを任せてもらうってのはスペ主が自分を信頼してくれてるから、ということに他ならないので、じゃあ自分もそれに応えよう、と誠実にしてきた。
人を傷つけないよう、自分も疲れすぎないよう、失敗はたくさんあったけど、あまり間違ったことはせずのらりくらりと生きてきたけど、最近それがいい方向で返ってきてくれてるかな、と思えている。
大器晩成型の流れ来てるかなー?体力もどれ~

嬉しいこと、まだまだこれからも続いてくれるともっと嬉しい。

ほめて箱

2024年02月27日
褒められたり好意を向けられることにも慣れていないせいで嫌悪感が出てしまうひねくれ者。
社交辞令とか、そんなこと思ってないで言っているんだろうな、とずっと考えていた。
認知の歪みという名前がついた気がする。

好きだと言ってもらったことを否定するとそれを言った人に失礼になる、と友人かだれかに言われたのがわりとナイフでぶっ刺さっていて、なんとか直そうと褒めてもらったことに対しては「ありがとう」と頑張って言うようにはしていた。

ついったーでほめて箱を設置してみて、色んな人に褒めてもらえた。絵に対する評価は匿名性のほうがすんなり受け入れられるかな。なんだろ、道端に露天商みたいに絵をおいていて、道行く人に「へー、いいじゃん」って一言をもらえるのが一番うれしい。同人イベントとかでも表紙とかポスター置いておいてふと手にとってもらったりかわいい~って言ってもらえるのが本当に嬉しかった。
最近は自分で自分を褒めることもできるようになってきたよ。

ありがとうほめて箱。

怖いこと

2024年02月27日
「緊張するのは何に緊張しているのか考える」

ラジオでふと聞いた話。
昔から緊張しいだったしと考えてみたけど、自分は「失敗が怖い」になるんだなと。
発表、人間関係、態度、言ったこと、仕事。
成功体験はあるはずなんだけどどれもこれも失敗のほうが記憶に焼き付いていて、それを何度も何度も思い出して死にたいと思うようになる。
失敗したことについては人から怒られたりはしてたけど、そこまで強く責められるってこともなかった…かな…。でもそれが強くなくても結構きつくて、失望されて離れられたり、恥をかいたり。
この辺を気にしすぎるのが完璧主義者なのかも…しれないなあ…

自覚しよう 失敗を怖がりすぎている。
自覚した先は改善なんだけど、これは成功体験増やすしかないんだろうなあ…。
きついなあ…。

先を予想しすぎている、というのも最近自覚はしている。
いわゆる論理の飛躍。
これはこう→たぶんこうなる→こうなるから無理→やめよう
予定を立てる時とかのざっくりスケジュールには役立っているんだけど、挑戦的なことに関しては一切の進歩をゆるさない保守的すぎる考え方。
諦めが早いのも良くないんだろうな。特に自分のことに関しては。興味がない。

自分の分析って思えば全然やってこなかった気がした。
占い師さんに「あなたは天秤、人に合わせて話をしてしまうので自分の意見がわからなくなりやすい」と言われて、ああなるほどと思ったことはあった。
自分が無いんだなと。
自我かあ…。あるのかな。

推し活

2024年02月23日
二次創作同人活動で知り合った友人たちは商業に行く人たちが多くなってきた。
コミカライズだったり雑誌の表紙だったり、みんなすごいなあと思う。
私は会社に所属していないと身の回りのことが処理しきれないので、この先も個人で仕事とかは出来ないかなあ。

プロとアマチュアの境界がほぼ無くなっていると思うので、X(Twitter)とかでも公式関係者が二次創作やファンアートをRTしたりと距離がマジで近い。公式側に気軽にコメント送れちゃったり。
古いオタクなのでどうにも公式関係者の目に入らないようにコソコソとしがちなんだけど、投稿のRT数とかタグとかトレンドとか、そういう数がコンテンツの生死に関わってるのは最近強く感じる。

大好きな作品には生きていてほしい。

動物園では、動物のことについて考えてほしいといろんな動物に年に一回◯◯の日と決めてガイドを行ったりしてる。
ゲームの発売日とかも◯周年ってお祝いすれば公式はだいたい見てくれてる。
要は自分が覚悟を決めろってことなんだけど、どうにもー…どうにも後に死にたくなるくらい恥ずかしくなったりするんだよな…。

とりあえず日々のファンアートと◯周年はやっていこうかな…と思った。